比叡山延暦寺(滋賀県大津市)
京都市と滋賀県大津市にまたがる天台宗の総本山「比叡山延暦寺」。788年最澄によって開かれた寺院です。
標高848mの比叡山全域を境内とする寺院で、西に京の都、東に琵琶湖を望む場所に建てられています。
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比叡山延暦寺は788年に最澄が薬師如来を本尊とする一乗止観院という草庵を建てたのが始まりです。
最澄は鎮護国家の為には、真の指導者である「菩薩僧」を育成しなければならないとして、比叡山に籠って12年間、ただひたすら修学修行に専念するという仏教における教育制度を確立しました。
まさに仏教界の大学のような感じです。
その後、浄土真宗を開いた親鸞聖人や、日蓮宗の日蓮聖人など、数多くの日本仏教界各宗派の始祖がここから輩出されています。
境内には親鸞聖人が修業した跡地の碑も。
現在、日本の仏教において多くの信者を抱える各宗派の大半がここ比叡山で学んでいることから、比叡山は日本仏教の母山と仰がれています。しかし、そんな天台宗ですが信者数は意外に少なく、300万人程度にとどまっています。
日本で一番信者数が多いとされている浄土宗系列が1900万人です。
これは天台宗の教学が法華一乗の思想ですべての仏教の教えを包含しているため多岐にわたっており、難解だということも要因の一つかもですね。
また信者の数が多い浄土真宗においては、始祖である親鸞聖人の教えは一般大衆にもわかりやすく、善人も悪人も「なみあむだぶつ」を唱えるだけで救われるという、すごく簡単なもの。
人間って簡単で楽な道で幸せになれるなら絶対そっちを選択しますよね。信者の数が多いのはあたりまえかも。
それに比べて、天台宗はかなりストイックな修行系です。
中でも「比叡山延暦寺」の「千日回峰」という修行は、とてつもなく厳しい修行です。
百日を一期として七年間で千日、比叡山の峰々をぬうように巡って礼拝する修行です。
雨の日も嵐の日も、まだ日も明けやらぬ夜中の午前0時に寺を出て、ひたすら比叡山の山中を歩き、午前中には寺に戻る。1000日間で歩く距離の総数は地球一周にも匹敵するほどの距離だとか。
毎日3時間の睡眠時間と少量の精進料理を日に二食という、信じられないほどの過酷な荒行です。
現在でもこの「千日回峰」に臨む行者は途中で行を続けられなくなった時は自害するという覚悟で、首を括るための死出紐と呼ばれる麻紐と、短剣を携行しているそうです。
「千日回峰」の最初の百日は「百日回峰行」と呼ばれ、素足に草履をはいて巡拝します。
二年目、三年目はそれぞれ百日間歩き、四年目、五年目は二百日連続で歩くそうです。ここまでで七百日となります。
七百日を満行すると「堂入り」という千日回峰行」で最も厳しい行がまっています。
九日間、不眠、不臥、断食、断水でお堂に籠って、百万遍の不動真言と「法華経」全巻を唱える行です。この行が終わってはじめて信者に加持ができるそうです。
六年目は「堂入り」の修行の後さらに、これまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わり、一日約60キロの行程を百日間歩きます。
七年目は「京都大巡り」といい、比叡山を巡拝した後、京都に下り、市内の神社仏閣を巡拝して宿泊し、翌朝同様に一巡し、山に帰り比叡山を巡拝して自坊に戻る。行程は一日95キロにも及び、市内では信者の加持もする。
最後の千日は最初と同じように比叡山を巡拝して、そしてついに「大萬行」となり、「阿闍梨」という尊称で呼ばれるようになります。
この「千日回峰」を二度も満行された方がいらっしゃいます。
平成25年に87歳で亡くなられた、酒井雄哉さんです。
こちらが酒井雄哉さんの「千日回峰」の映像です。
比叡山延暦寺自体は観光地化した感があり、パワースポットとしては積極的にお勧めしませんが、「千日回峰」を満行された方はその方自体がパワースポットです。
二度も満行される方は少ないにしても、「千日回峰」を満行された「阿闍梨」の方はいらっしゃいます。
比叡山延暦寺では、そのような方に付いて巡峰する「一日回峰行」という一般の方も経験できる行が行われています。
こちらは一度経験してみたいですね。その他、座禅や写経も体験できます。
詳しくはこちらを
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比叡山延暦寺アクセス情報
滋賀県大津市坂本本町4220おすすめパワースポットランキング ✩✩✩
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