大和神社(奈良県天理市)
奈良県天理市にある「大和神社(おおやまとじんじゃ)」です。
大和一国の国御霊(くにみたま)を祀る神社で、今から約2000年前に創建された日本最古の神社です。
御祭神は「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)」、国土の守護神として、天照大御神と共に宮中に祀られていた神様です。
しかし、崇神天皇5年に国中に疫病が流行り人民が死に絶える事態がおきます。
神様を人間と一緒に宮中に祀っているのが原因だとして、「天照大神」を皇女豊鍬入姫命に勅して倭の笠縫の邑に、「大和大国魂神」を皇女渟名城入姫命に勅して、大市の長岡岬に奉遷したのが大和神社の創祀と伝えられています。
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神社を巡っていると崇神天皇に関係した神社には多く出会います。
崇神天皇は神武天皇から数えて第10代目の天皇です。現代日本の学術上では、実在可能性が見込める初めての天皇であると言われています。
『日本書紀』の記述では、神武天皇が畿内で即位後しばらくは畿内周辺の狭い領域の記述しか出てきませんが、崇神天皇の代になって四道将軍の派遣派兵など、初めて日本の広範囲の出来事の記述が出てきます。そのため、崇神天皇を初代天皇、あるいは神武天皇と同一人物であるとする説がかなり有力だそうです。
3世紀から4世紀初め頃の天皇だとと言われています。
四道将軍は崇神天皇の命を受け、北陸、東海、西道、丹波に派遣され、教えを受けないものがあれば兵を挙げて打つように指示されていたそうです。
日本を統一するために、元々その土地を治めていた一族を武力で追放したわけですから、綺麗ごとでは済まされませんよね。
古事記や日本書紀には譲ってもらったとか、元々住んでいた部族が悪人のように記されていますが、結局は侵略の歴史ですよね。
しかし、人の恨みもさることながら、その地に祀られていた神様の祟りは崇神天皇も恐れたのでしょう。
伊勢神宮への奉遷も、こちら大和神社への奉遷もそのためみたいです。
JR桜井線・長柄駅から東南に、狭い民家の路地を抜けてたどり着きます。43ヘクタールにのぼる広大な森の中に神社はあります。
一の鳥居から二の鳥居まで長い参道が続きます。
この参道も車で通過して二の鳥居の先の拝殿の前に車を停められる方も見受けられますが、できたらゆっくり参道を歩るいて行かれることをお勧めします。
参道を通ることによって周りの木々に浄化してもらえますし、木漏れ日の間から聞こえてくる鳥のさえずりを聞きながら歩くのは気持ち良いですよ。
「大和大国魂神」は古くは「天照大御神」と同じ宮中に祀られていた神様ですので、「天照大御神」と同格の神様です。
しかしうっそうとした森の中にひっそりと建つ大和神社を見ていると、神社本庁の本宗(ほんそう)である伊勢神宮に祀られている「天照大御神」と、ここ大和神社に祀られている「大和大国魂神」に対する扱いにはなにやら大きな差を感じずにはいられません。
崇神天皇から「日本大国魂大神」を託された、渟名城入姫命 (ぬなきいりひめのみこと)は髪が抜け、痩せ細って祀ることができなくなったと日本書紀には記されています。かなり強い神様だったと思われます。
しかし、ここ大和神社の拝殿の前に立ってみても、そのような強い神様の気を受け取ることは出来ませんでした。
渟名城入姫命 が極度に衰弱してしまったため、代わって長尾市宿禰(ながおちのすくね)に命じて祀られたとのことです。
しかし、伊勢神宮と同じように大和神社がこの地に落ち着くまでには、いくつか別の鎮座地があったようです。
山の辺の道の途中にある「長岳寺」のあたりという説や、三輪山の近くの「狭井神社」や「檜原神社」の近くとか、いろいろな説がありますがまだ確定はされていないそうです。
「大和大国魂神」の御神体は今でも別のところにあるような気がしてなりません。
神様には天皇系の「天津神」と日本古来の「国津神」の二種類があります。
三輪山の神様や出雲の大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていた土着の神(地神)を「国津神」といいます。大和神社のご祭神である日本大国魂の神様も「国津神」です。
対して「天津神」は高天原にお住いの神様や、または高天原から天降った神様のことを言います。イザナギ・イザナミの二神や瓊瓊杵尊、天照大神は天津神です。いわゆる天皇家の御先祖の神様などです。
様々なピースは私の中では未だばらばらのままです。
各地を巡り、様々な神様と出会うことによって一つの形が浮かび上がってくるのかもしれません。そんな期待を持っています。
山の辺の道の途中に「大和神社御旅所」という標識がありました。
この小さな祠が御旅所で、「大和稚宮(おおやまとわかみや)神社」というそうです。
毎年4月1日に行われる大和神社の「ちゃんちゃん祭」では、青銅で鋳造された鉦(かね)を叩いて、チャンチャンと鳴らしながら、神輿の一行が大和神社からここ御旅所まで神幸されるそうです。
「大和大国魂神」が遷られたことを語り継いでいる御祭りなのでしょうか。
「祭はじめはちゃんちゃん祭り 祭りのおさめはおん祭り」と謳われるほど、大和では大きな祭りだそうです。
パワーでいえば、大和神社の拝殿の左手にある「高龗神社(たかおかみじんじゃ)」の方が強いエネルギーを感じます。
高龗神を祀る神社は奈良の吉野にある丹生川上神社の上社、中社、下社や京都の貴船神社が知られていますが、ここ大和神社の高龗神社が総本社と言われています。
説明書きには、「日本大国魂大神の使神で龍体に坐しまして、変化自在に天翔り神威を崇敬者にもたらし護りたまう。」と記されており、天候を司り、多雨やひでりの害、暴風などの災害から護るとされています。
こちらもまた崇神天皇が創祀させた神社です。
境内の右手には「戦艦大和ゆかりの神社」と書かれた石碑が。
実は、大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦である「戦艦大和」は、国土の守護神である「日本大国魂大神(やまとおおくにたまのおおかみ)」の神威を受けるべく、艦上にはここ大和神社の御分霊が祀られていたそうです。
そのため、戦艦大和の長さは大和神社の参道と同じ(270m)で、幅は参道の約4倍(40m)に造られていたそうです。
戦艦大和ファンにはたまらないでしょうね。ちなみに私は宇宙戦艦ヤマトのファンです。
大和神社アクセス情報
奈良県天理市新泉町3060743-66-0044
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