石上神宮(奈良県天理市)
奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)です。
奈良県の大神神社と同じく日本最古の神、パワースポットとしても有名な神社です。
主祭神は布都御魂剣に宿る神霊「布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)」。主祭神が人でも自然でもない「剣の御霊」というのはとても珍しい。
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「布都御魂剣」は、東方に進出した神武天皇が熊野で壊滅状態になった際に武甕槌神から授かった太刀のことで、この太刀の不思議な力によって神武天皇の一行は蘇り、賊も退散して無事に大和を平定できたといわれています。
社伝ではまた一方で、八岐大蛇を斬った時の十握剣であるとも伝えられています。
参道は深い緑の常緑樹に囲まれて、神聖なエネルギーが漂っています。
訪れた時間が少し遅かったこともあり人の姿もほとんどなく、灯された灯篭の明かりが奥への道案内のように心を誘います。
参道の奥に開けた境内が見えてきます。
境内のいたるところに野生の鶏の姿が。
一部情報では、ここ石上神宮では鶏が神に使いとされていると伝えていますが、どうも最初に誰かがここに鶏を捨てたみたいで、それが次第に数が増え今のような状態になったということらしいです。
でも普通の白い鶏とは違ってけっこう色も鮮やかで、人や猫を恐れる様子もなく堂々としています。その姿は、神の使いに違いないと思わせるほどの風格を漂わせています。
境内の奥の石段を進むと、鎌倉時代の末期に建てられた楼門が現れます。
檜皮葺の入母屋造のこの楼門は、重要文化財に指定されています。
楼門の奥が拝殿となります。拝殿は国宝に指定されています。
拝殿の奥に本殿が建てられていますが、正面からは見えませんでした。しかし本来は拝殿の奥の禁足地となっている聖地を祀り遥拝していたので、昔は本殿はなかったそうです。
三輪山をご神体とする大神神社と同じです。
その後、明治時代になって禁足地を発掘した際、剣や勾玉などの神宝が出土。それを期に本殿が建てられたそうです。
発掘された神宝の一つが、国宝の「七支刀」です。
「七支刀」は刀身の両側から枝が3本ずつ互い違いに出ているという不思議な形をした刀で、実用的な武器としてではなく祭祀的な象徴として用いられたと考えられています。
4世紀に朝鮮半島の百済の王族より贈られたもので、特別に鍛えられた鉄を使っており、刀自体に強い霊力が備わっているとされています。
現在でも禁足地は布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれています。
拝殿の前で手を合わせて、しばらくエネルギーを受け取りましたが、残念ながら思うほどのエネルギーを受け取ることは出来ませんでした。この地では剣の残像のようなエネルギーしか感じません。たぶん本物のご神体はここから遷されているのかもしれません。
神社自体はとても気持ちの良いエネルギーですよ。
ただ剣の強力なエネルギーを期待していたために少し残念でした。
ここ石上神宮は飛鳥時代の豪族、物部氏の総氏神でもあります。
この物部氏というのはかなり謎の多い一族です。
日本の初代天皇である神武天皇よりも前に天磐船により大和入りをした饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を祖先とすると言われており、天皇と同じく天孫降臨の一族です。
古事記や日本書紀では、神武天皇の時代に物部氏の始祖である饒速日命の子「宇摩志麻遅命」は、義理の兄である長髄彦を殺してまでして神武天皇に帰服したとされています。
その宇摩志麻遅命が治めていた地が出雲だったという説があります。
祭神の剣が八岐大蛇を斬った時の十握剣とする一説があることを考えたら、素戔嗚尊が退治したとされる八岐大蛇は、出雲を治めていた物部氏の先祖だったりする可能性あるかも。
主祭神である「布都御魂剣」はもとは宮中に祀っていたのですが、崇神天皇の時代に石上神宮に遷されてています。同時期に天照大神は伊勢神宮へ、倭大国魂神は大神神社へ遷されています。
崇神天皇5年に疫病が流行り、多くの民が死に絶えたため、とされていますが、なぜ祀っていた神を宮中の外へ遷す必要があったのか疑問は残りますよね。
物部氏の一族は神武天皇に帰服した後から長く代々の天皇に仕え、国の守護を任されています。最初は兵器の製造・管理を主に管掌していましたが、次第に大友氏と並ぶ有力な軍事氏族へと成長していきます。
また、物部氏は祭祀氏族でもあり、銅鐸を造り、呪具を造り、神殿や祭壇を造った一族でもあります。
『旧事本紀』には、神武天皇即位の後、饒速日命の遺した10種の天璽瑞宝(あまつしるしのみづたから)を献上したとも記されています。その10種の天璽瑞宝も、布留御魂大神 として石上神宮に祀られています。
物部氏の史書として知られる『旧事紀』には、十種神宝の名前を唱えながらこれらの品々を振り動かせば、 を病気は治り、災いは去ると記されています。
それが「ひふみ祓詞」です。「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部)ひと ふた み よ いつ むゆ なな や ここの たりや 、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱えます。
かなり力のある祓詞です。
呪術の力もかなり強かったと考えられます。それがまた権力者から恐れられる一因ともなったのではないでしょうか。その後歴史から消えた一族でもあります。
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石上神宮アクセス情報
奈良県天理市布留町384駐車場 有り 無料
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