吉備津彦神社(岡山県岡山市)
岡山県にある「吉備津彦神社」です。
ここ「吉備津彦神社」は吉備の国(現在の岡山県全域と広島県東部 と香川県島嶼部および兵庫県西部)の一宮です。
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御祭神である吉備津彦命は昔話の「ももたろう」のモデルと言われています。
大和朝廷から派遣された大吉備津彦が、吉備の国を平定するに際して、この地に住んでいた温羅(うら)という渡来人との戦い勝利したという言い伝えが、童話の「桃太郎」の元になっているとのこと。
しかしこの温羅(うら)との戦いの伝承には、どうも二つの伝承があるらしいです。
ここ「吉備津彦神社」に伝わる『吉備津彦神社縁起』と、もう一つ吉備津彦神社とは一字違いの「吉備津神社」に伝わる『吉備津宮縁起』です。
吉備津神社は、ここ吉備津彦神社からほんの2km程と近い場所にあるのですが、昔の備前と備中の境が二つの神社の真ん中にあるそうで、昔は別の地域だったみたいですね。
両方の伝承とも温羅(うら)が攻め落とされたというのは同じみたいですが、『吉備津宮縁起』では、かなりの死闘の後、首を落して埋めたとされています。
それに対してここ吉備津彦神社の『吉備津彦神社縁起』によると、大和朝廷との戦いに負けた温羅は命を助けられ、日本の人々に製鉄、造船の技術を伝えたと言われています。
吉備津神社に伝わる伝承では温羅は恐ろしい悪人のままですが、こちら吉備津彦神社においては、鬼といえども日本文化に貢献したという考え方みたいですね。
歴史は勝者が作ると言われるように、はたして「鬼」という存在、本当に悪い存在なのか、それとも勝者が自分の立場を守るために名付けたのか疑問は残りますね。
桃太郎伝説はそれとして、
ここ吉備津彦神社は現在は大吉備津彦を御神祭としてお祭りされていますが、昔は「気比大神宮」として、気比比賣大明神をお祭りしていたようです。太陽信仰の場所だったと推測されます。
それを裏付けるかのように、吉備津彦神社の社殿の配置は、夏至に昇る太陽の光が正面の鳥居から本殿の鏡へと差し込むように建てられています。そのためこの神社は「朝日の宮」とも称されています。
その本殿の後方には御神体の中山(龍王山)がそびえています。
中山の山頂には巨大な天津磐座(神様が降りてくる石)や磐境(神域を示す列石)が存在しており、古代から山全体が神の山として信仰されてきたみたいです。
また、こちらの神社の境内には平安杉という名の、樹齢千年以上とされる御神木がそびえています。
「この大杉に龍が宿る」という伝承もあり、吉備津彦神社のシンボルともなっています。
しかし、その姿はなんと幹の半分が焼けただれております。
写真ではちょっと分かりにくいかもしれませんが・・・・
昭和5年に社殿の大火事があり、その火にあぶられて今のような姿になったそうです。
建物はもう一度建てることが事ができる。しかし、命は取り戻せない。
地域の人々は燃え盛る神殿よりも杉の命が大切と、バケツリレーで必死で杉の木に水を掛け続けられたそうです。
その地域の皆さんの御蔭でこの杉は生き残ることができたそうです。
その後、倒木の危機がありましたが、有名な樹木医の先生の治療をうけ今も生き続けています。
なんと芯には鉄骨が埋め込まれており、モルタルで固めてあるそうです。
地域の方々みんなの思いによってこの杉は生かされているのですね。
お聞きしたところによると、今現在、樹皮は火のあたらなかった半分だけですが、なんと、ゆっくりではありますが、最終的には再び、この木の全体を樹皮が覆い尽くすのだそうです。
「命」の力強さをあらためて感じさせていただきました。
ここ吉備津彦神社を訪れたのは2011年の大震災の年でした。
この大きな杉の半分が焼けただれている状態は、まるでその時の日本の姿のように私の目には映りました。
残された半分が盛り上げて被害を受けたかたがたの支えとなり、ゆっくりと、ゆっくりとではありますが、必ず元の姿に戻ってゆく、そんな可能性を教えていただいたかのようでした。
いたいけな平安杉のそれでも生き生きとした姿を見ていると、「命」の偉大な力、未来への希望を確信せずにはいられなくなります。
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吉備津彦神社アクセス情報
岡山県岡山市北区一宮1043086-284-0031
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